当神社の由緒は、
寛永5年(1628)、
福井城内の天台宗万福山泉蔵院
瑠璃光寺北に
社殿を建立し、
東照宮権現様(徳川家康公)を
お祀りしたことに始まります。
明治6年、福井藩祖松平秀康公の御偉業を称えてお祀りするにあたり、春嶽公により社名を佐佳枝廼社と命名されました。明治14年、県社に列せられ、明治24年11月11日、そのご遺徳を景仰して松平慶永公を合祀奉りました。以後、昭和15年の春嶽公50年祭には、勅使を遣わされるなど、皇室の御崇敬も厚く、福井の氏神様として社頭は賑わいを見せておりましたが、昭和20年の大東亜戦争による空襲、また昭和23年の福井地震と二度に渡る戦災・震災で、御社殿付帯施設一切が焼失しました。しかし、すぐにも復興の気運が高まり、翌24年、岡田啓介氏、三井鋹子氏、松平康昌氏らの御助力により、京都市下鴨にある三井家祖霊社を譲り受け、拝殿として移築復元し、また昭和30年には、先の災害を鑑みて、北陸初の鉄筋コンクリート造り、入母屋造りの御本殿が造営されました。
戦後、当神社は福井市の要請のもと、大陸から引き揚げて来られた方々や戦災で焼け出された方々のために境内の一部を提供し、当初は門前町として浅草の仲見世通りにも匹敵する商店街をと希望しておりました。ですが、戦後40年を経過し建物の老朽化が進んでいたこともあり、福井市中心部としてふさわしい景観を望む声が高まり、様々な案が検討された結果、神社を含む再開発という全国でも初の大事業が平成元年3月に着工致しました。3年余に渡る大工事の末、平成4年4月17日に竣功致しました。